20130707

「桐島さんの旦那さんと、ふ、ふたりで、お話させてもらえないでしょうか……!」


同じ事業企画部の先輩である桐島沙織の夫・上総が、
かつての妻を亡くしたことがあると聞き、
とっさに「話がしたい」と申し出てしまった、千歳あこ。

自分と同じく、若くして一生の伴侶を亡くした経験のある者など、
そうそう会えるものではない。

そう思って、沙織に願い出たものの、あこは今になって軽く後悔した。

(全く話したこともない人に…過去の傷をえぐり出すようなことを話して…
落ち込ませたらどうしよう……怒られたら、どうしよう……)


あこが過去に夫を亡くしたと聞いた後の願い出なだけに、気持ちを察した沙織は
上総に軽く、彼女の事情を話した上で、会ってやるようにセッティングをした。
上総は、何かと多忙な開発研究室所属のため、
すぐに時間が取れるかどうか難しいところであったが

終業後に時間を割いてくれるという。

今日の夕方、屋上公園で。
と、指定されたあこは、静かに、緊張した面持ちで上総を待った。




「すみません、お待たせしました」

木陰にあるベンチにも座らず立ち尽くしていたあこの前に、上総が現れた。
「業務が少し長引いてしまって…」
「い、いえ…! こちらこそ、お忙しい中に突然呼び出したりして、すいません…!」
「……とりあえず、座りませんか?」
上総は、ベンチの前で立ったままのあこに、座るように促すが、あこは首を横に振った。
座ると落ち込んで、背中を丸めてしまいそうな気がしたので、
立ったまま、背筋を伸ばした状態で話したかった。
「いえ…私は、このままで……」
「じゃ、僕も立ちますかね」


夕方とはいえ少し暑いので、二人は屋上公園の端の、
風通しの良いフェンスの前に並んで立った。

「それで………あぁ、そういえばこうして会うのは初めてでしたね。失礼しました。
開発研究室の桐島です。」

「あ……じ、事業企画部の千歳あこと申しますっ……
い、いつも、桐島さ……え、えと、奥様にはお世話になっていて……」

「こちらこそ、いつも妻がお世話になっています」
(妻……)
上総も、あこと同様、伴侶を亡くし、辛い思いをしているはず。
どうすれば……どれだけの時が経てば、夫を忘れ、新たな男性を伴侶だと、
自信を持って言える日が来るのだろう。

あこは、出口の見えない、暗いトンネルの中にいるような気分であった。
夫の弟の婚約者である南十字照美に叱咤され、とりあえず一歩前へ踏み出したものの、
その先がわからない。

上総は、あこの言葉を待っている。
せっかく、時間を割いてもらったのだ。ただの雑談で済ませるわけには、いかない。

「は、初めて、会ったのに……酷いことを訊くかも、しれません。
き、桐島主任の、辛い思い出を蒸し返すかもしれません。
そ……それでも、訊きたいことが、あるんです!」

「はい、どうぞ」
緊張でどもりっぱなしのあことは対象的に、ひどくあっさりと答える上総。
この落ち着きようが、逆にあこに恐怖心すら与えた。

「私、4年前に夫を事故で亡くしているんです。それから、この会社に来るまで、ずっと…
先の事なんて考えずにずっと、塞ぎこんでいました。けど、それじゃだめだって、思って…
東京に出て、この会社でやりなおそうって思って……で、でも……」

泣き出しそうになりながらも、一気に、自分の事情を吐き出すあこ。
それを静かに聞いている、上総。
時々、目を閉じて……自分の過去を思い出しているようにも、見えた。
「……奥様から、聞きました。桐島主任も、前の奥様を亡くされている、って……
そ、そんなこと、自分で考えろ!って思うかもですが……ど、どうして……
どう、すれば……前の奥様の事を忘れて、今の奥様に……」


「忘れてなんて、いませんよ」

必死に話し続けるあこの言葉を遮り、上総が穏やかに反論した。
「この8年間…奏子の事を忘れたことなんて一度もありません。
けど、奏子も…沙織さんも、僕の一番大切な人です。」

「かな……こ……?」
「あぁ…説明が足りませんでしたね。奏子は…8年前に病で亡くなった、僕の妻です」
戸惑うあこに、上総が優しく説明を加えた。
「千歳さんは、旦那さんを事故で亡くされた……
きっと、予測もつかない、突然の事だったのでしょうね。
僕は…奏子は、治る見込みのない癌で、僕が知った時は余命半年と言われていました」

「半…年……」
「先がないと分かっていても……僕は彼女と結婚を決めました。
亡くなった後も……一生、彼女の夫でいようと…独りでいようと、思っていました。
けど、沙織さんと出会って…僕に妻がいたことで、
沙織さんを相当苦しめてしまいました。でも…」

「でも……?」
「忘れるなんて、無理なんです。不可能なんですよ。
だって、奏子がいたおかげで今の僕がいるんです。何一つ、欠けたら今の僕はいないんです。
両親から生まれて、小学校に入学して…大学卒業して…そういうことって、
なかったことにはできないでしょう?
それと同じです。奏子は、今でも僕を形成する人生の……いえ、僕の一部なんです」

そう言い切る上総の瞳には、揺るぎない想いが宿っている。
あこは、上総の言葉のひとつひとつを、頭の中で反芻した。
(忘れるなんて、不可能……。)

「……この気持ちは、きっと同じ経験をした人にしか、わからないと思います。
僕も……沙織さんに、理解を頂くまで、随分と時間が掛かりました。
そしてそのまま、振り向いて貰えなくても…何らかの形で彼女の支えになろうと、
思っていたのですけどね。幸いにも一緒になることが出来ました」

「あ、あの……前の奥様と別の女性を好きになる、こと……
後ろめたいとか、そういうことは、なかったですか…?」

「それは、ありましたよ。けど……
奏子なら、自分がいなくなって塞ぎこんでいる僕を見たら、
いつまでもメソメソしてるんじゃない!! って、
背中を押してくれる気がしましたし……何より、」

「何より…?」
「『あたしは幸せだから。上総もずっと幸せでいて』
……今わの際に、奏子が遺した言葉です。
亡くなってから何年かは、その意味を深く考えようともしなかったのですが…
自分は人生の最期まで幸せだったから、僕にもそうであって欲しい、
という願いが込められていたんだ、と…」

そこまで語り、上総はしばらく空を見つめたまま、黙り込んだ。
久しぶりに、亡くした妻のことを語ったせいであろうか。感極まっているようにも見えた。
「……すいません……やっぱり、思い出させてしまいました、よね……」
「……はは……気にしないで下さい。先程も言いましたが、忘れてなんていないんですから。
むしろ、忘れてはいけない……先立った伴侶のことを心に留めた上で、幸せな人生を送る。
……それが、遺された者の『役割』だと、僕は思っています。」

「役……割………」
「千歳さん。……旦那さんは、貴方と結婚した時に、
貴方を一生かけて幸せにしたかった、はずです。
それが、自分が先立ったせいで貴方が今後不幸な人生を送ることになるなど、
絶対に望む訳がないのです。
どうか…どんな形でも良いです。幸せを見つけて下さい。
……僕達、お互い……いつか天寿を全うしたら、
幸せな人生だったと、報告出来る様に頑張りましょう」






その後、ひたすらしんみりとさせてしまった上総に、あこは深々とお礼をし、別れた。


(そうか……忘れなくても、いいんだ……
……うん、忘れられるわけ、ないもの……

これから、色んな出会いがあるだろうけど……
この想いは、一生揺るがない自信、あるもの……。
ずっと、ずっと、好きでいても、いいよね……? 太一さん……)