夜になり、雪がちらつき出した泉邸の、裏庭。
かなり冷え込んできているにもかかわらず、着物にエプロンのみの姿で、あこが佇んでいた。
(私は……ここに居るって決めたんだもの……ここに居なきゃ、私なんて……)
先ほど零れ落ちそうだった涙は既に乾いていた。
夫・太一が亡くなってから辛いことなんて……もう慣れてしまっていた。
『どんなに辛くても』泉家に残る、それが自分の生きがいであり最後の砦。
そう自分に言い聞かせるように、頬に残っていた涙のしずくを力強く拭った。

「……やっと見つけた……あこ義姉さん……」

家中走り回って探していたのか、息を切らした次郎が背後から声を掛ける。
「…あ、ごめんなさい!ちょっと頭を冷やしていたの…もう大丈夫だから!」
「大丈夫、って……こんな寒いところでそんな格好で」
上着を差し出して、あこの肩にかけようとする次郎の厚意を、彼女は丁重に断る。
「き、気にしないで…私、寒さには強いし…じ、次郎君に迷惑掛けるわけには…」

「『身内』なんだから、迷惑とかそういうこと考えなくても、いいんじゃないの?」

次郎を追いかけて裏庭にたどり着いた照美が、
極寒の裏庭に澄み渡るような凛とした声で言う。

名家の実家を持ち、自信に満ち溢れ、誰からも祝福されている新しい『泉家の嫁』。
照美自身に恨みはないが、あこにとって今の照美は何もかもが嫉妬の対象でしかない。
そんな醜い感情から目を背けるかのように、あこは照美を直視することができなかった。
「面倒な前置きは申しわけないけど省くわ。率直に言う。
あこさん、あなたは泉家に居るべきじゃない。」

「!!!」
「………照美さん………」
孝信も、次郎も言い出せないでいたことを、照美があっさりと言いきった。
結論だけをぶつけることで、まずあこがどう思うか。
照美は、愕然とするあこの反論の言葉を待った。
「そ……そ、そうですよ、ね……あなたから見たら、
夫の居ない兄嫁なんて、邪魔なだけ、ですものね……」

「……………」
「……で、でも、ごめんなさい……私は泉家を出ません。絶対に……
……あ、安心してください!あなたには絶対……
もちろん、次郎君にも迷惑は、掛けません!」

照美の勢いに押されないよう、そして、自分の覚悟の程を知ってもらうよう、
あこは背筋をしっかりと伸ばし、照美に反論した。


20130120


「どうして、そこまでして泉家に残ろうとするの?
泉家に居ないといけない理由とか、泉家で叶えたい願いとか、そーいうのでもあるの?」

「……特に、ないんです……でも、私にとって泉家は全てだから……
私から、ここのお嫁さんであることを取ったら、もう何も残らないもの……」

「だったら、ここの嫁であるという立場と行動を取ったら?
お手伝いさんまがいでいるってことは、
ここに『居させてもらってる』っていう引け目があるからじゃないの?」

「!!」
次から次へと突かれたくないことを言い出す照美に、
あこは次第に恐怖を覚えて瞳を潤ませる。

「ちょ、ちょっと照美さん…!」
さすがにこの空気は次郎もまずいと思ったのか、照美に制止に入る。
しかしそんな次郎の制止も物ともせず、照美は言葉を続けた。
「言っておくけどね、私、『泉家に居るべきじゃない』とは言ったけど、
『あなたが邪魔だから出て行って欲しい』なんて一言も言ってないわよ?
そんなこと、お義父さまや……次郎君だって、全く思ってない。
できることなら、このままずっと泉家の一員として、
居て欲しいとすら思ってるんじゃないかしら」

「……そ、そう思う、なら……放っておいてくれれば、いいじゃないです、か……」
「そう思って放っておいた結果が、今現在でしょ。
あなた、まだ23歳なんですってね。若いあなたを泉家に縛り付けずに
ちゃんと未来の選択肢を与えてくださったお義父さまの優しさが、どうしてわからないの」

「私に選択肢なんて、ないんです…!!
私は泉家にいることが全てだって、言ったじゃないですか…!!
私の一番の幸せは、ここにいることなんですっ!!」

「泉家にいる今が、自分が幸せになるための選択だったと言うのなら……
……あなた、どうして笑わないの?」


………………

あまりに唐突で、尚且つシンプルな問いに、あこはあっけに取られた。
笑う……? 笑うって何だろう。
そういえば、夫が亡くなってからのこの4年。
笑い方はおろか、笑うことの意味すらも忘れてしまっていた気がする。
「今日、ずっとあなたの様子を見てたけど……全く、笑わなかったわよね。
人間誰しも、不幸になるのを目指して生きてるわけじゃない。
けどあなたは、これからの未来、いくらでも楽しいことが待ってるのに、
未来の可能性に無理矢理フタをして、自分から不幸になりに行ってるようなものなのよ。
泉家にいるのが自分の幸せだと思うなら、どうして笑わないの」

「………!!!」
自分は今、幸せか? 心から笑っているか?
そう問われたら、即座に深くうなずく……ことが、できないことに。
あこは気付いてしまった。
「………お義兄さまのこと、聞いたわ。突然の事故だったんでしょう。
お義兄さまだって、本当なら、あなたとずっと、この泉家で暮らして……
子供を育てて、その子供が孫を産んで、おじいちゃんになるまで……
ずっとあなたと暮らしていくつもりが、その未来を断たれてしまった。
突然の出来事だっただろうし、自分の死後あなたにどうして欲しいなんて、
もちろん考えていなかったと思うし、考えていたとしても伝える余裕はなかったでしょう。
けど……未来を断たれてしまったお義兄さまが、
残されたあなたが自ら未来を閉ざしてるのを、
嬉しいと思うはずが、ないんじゃないの?」



(……太一さん……)

照美から夫のことを語られ、あこの脳裏には太一との様々な思い出が一瞬にして巡った。
学生時代から、ずっと自分のことだけを愛してくれて、自分のことを第一に考えてくれて。
幼い頃の口約束だった婚約どおりに結婚してくれた、優しい夫。
すぐそこに別れが近づいていたなんて、お互い思ってもいなかった。
階段から落ちた夫を見つけたとき、夫は既に意識を失ってしまっていた。
そして最後の言葉を交わすこともなく逝ってしまった。

夫がこの世にいない今、今の自分をどう思ってるかなんて、分からないけれど…
少なくとも、自分が笑顔でいられる未来を、夫は望んでくれる人だったはず。
きっと、今の自分を見たら……夫なら、悲しむだろう。

「…………太一さん――――――!!!」

大声で夫の名を叫ぶと、あこはその場にしゃがみこんで泣き崩れた。
照美の説得に、いつしか自分までも涙をこぼしていた次郎が、慌ててあこに駆け寄る。
辛いけれど、悲しいけれど……。
あこは、自分を縛り付けていた、
自分自身の呪いからようやく解き放たれたような気がした。



















正月休みも明け、今年の初出勤を終えた照美は、
次郎と共に屋上公園の温室内で昼食を共にしていた。


「……そっか、お義姉さん除籍することになったのね。」
「はい!…照美さんのお陰です。本当なら、自分や父が説得するべきだったんですけど…」
「まぁ、お義兄さんのこともあったし、身内じゃ言いづらいトコもあったでしょ。
『部外者』のあたしだからこそ、ああもズケズケと言えたのかもしれないしね」

「『部外者』って……て、照美さんはもう……」
「? あたし、これから泉君と結婚するとは限らないわよ?」
「!?――――――」
婚約者同然で実家へ赴いたのに、この言葉。次郎は度肝を抜かれた。
「だってプロポーズもされてないのに結婚しろって言われてもねぇ……」
「………~~~あああああ~~~~ !!!!」
元々婚約同然状態だった現状に甘え、
実はプロポーズの言葉ひとつ与えていないことに、今更気付いた次郎。

そしてその次郎のヘタレさを指摘するように、
照美はそっぽを向いて弁当をほおばり続ける。

実は泉家に行く前に照美が散々、面倒くさいだの恥ずかしいだの喚いていたのは、
そのことに気付かない次郎を炊きつける意味もあったのだった。
結婚する気は満々だけど、プロポーズの言葉は欲しい。
そんな乙女心に気付かない次郎の膝を、照美は無言で蹴っ飛ばした。

「………コホン。お取り込み中みたいだけど、いいかしら?」

不穏な空気が流れる二人の前に現れたのは、人事部長の瀬上奈津恵であった。
「あら。瀬上部長? ええ、スッゴク暇なので大丈夫ですよ」
『暇 !?』と言った顔で慌てた表情で照美を見る次郎をよそに、奈津恵が言葉を続けた。
「2013年度の新規採用が決まった社員なんだけどね。
吉村部長からの口添えがあった子なんだけど、
色々調べてたら、あなた方に縁のある子だったから、ちょっと色々聞いておこうかと思って」

「あたし達に、縁……?」
疑問符を浮かべる二人の前に、奈津恵は調査報告書を差し出した。


”千歳 あこ ”





未来を切り開き始めた彼女の人生の再スタートは……
ここ、ねぎ秘密結社で始まろうとしていた。



20130120b







(おしまい)