20110306

3月のはじめの、とある日の終業後。

「ふぃ~、やっと終わった~……って、雨!? もー、カサなんて持ってないよーっ!」
会社の社員通用口の前で、空に向かって嘆いているのは、百武愛子である。
少し後から、同じように仕事を終えた古屋 司が歩いてきた。
彼は愛子と違い、天気予報に目を通していたようで、傘を手にしている。
(ん?あれは………)
程なくして、通用口に立ちはだかっている愛子に気が付いた。

「……よぉ、愛子」
「あ、つかちゃーん!おつかれっ!」

いつものように、得意のあだ名で呼ばない司と、あだ名で呼ぶ愛子。
彼らを知る人から見れば、なんとも不思議な光景である。
「つかちゃんって呼ぶのやめろって言ってるじゃんか……
『ふるやん』のが気に入ってるのに」

「そういうつかちゃんこそ、あたしに絶対あだ名とか付けないよねっ」
「だってなあ…幼なじみの呼び方変えるのって今更な感じするし」
「だったらあたしも同じ理由かなっ。
しかしま、あたし達今住んでるトコ全然近所じゃないし、
あたし達が昔からの知り合いだなんて知ってる人、いなそうだよね~」

そう、この二人はあまり知られていないが、幼なじみなのである。
幼い頃、家が隣同士で、幼稚園も小学校も中学校も一緒。だが…
「あたしが高校入る前に横浜に引っ越したりしなかったら、どうなってたのかなぁ~」
「………………… 別に、どうなるわけでもないだろ」
愛子の何気ない言葉に、司は少し考え込むようにしてから、投げやりに言う。
そんな司の複雑な心境をあざ笑うように、愛子はにやにやと司の顔を見る。
「まぁねぇ~?中学ん時にちょーーっとだけ、付き合ったことあったけど、
持たなかったもんねっ」

「ああ、そんなこともあったっけな。一ヶ月と持たなかったから忘れかけてたぜ」
「あたし達、お互い大人になったし、今付き合ったら何か違うかもよ~?」
「無理。お前と付き合うには人並み以上の体力と精神力が要るわ。
おれの寿命これ以上縮めないでくれ」

「付き合おう」なんて言葉、本気ではない。それが分かっているからこそ、
愛子に対し、司も本気で迷惑そうに言い返す。
「つかちゃん、相変わらず身体弱いもんねー。こないだも入院してたでしょ」
「……身体のことは言うなって言ってるだろ。もう昔ほどじゃない……と思うし」
快活そうな見た目とは裏腹に、司は生まれつき身体が弱い。
昨年も体調を崩し、入院を余儀なくされたりもした。
幼い頃から病気がちで、学校もよく休んだ。
「つかちゃんの分のプリントや、給食のパン。授業のノートとか、
毎回あたしが持ってってたんだよね~
そのたびに、つかちゃんのお母さんがお菓子出してくれたりして!
何気に毎回それが楽しみだったりね♪」

「わかってはいたけど、やっぱお前それが目的だったんか……」

その後、通用口は誰も通らなかったこともあり、二人はその場で昔話に花を咲かせた。
昔話はもちろん、子供の頃は話せなかった、仕事や恋愛など、大人の話も。

「……そういやお前、相変わらずオッサン趣味なのか」
「オッサン趣味とか言わないでよ!ただ単に年上が好みってだけなのにー!」
「オッサンでも年寄りでもどうでもいいけど、程々にしておけよ?
昔付き合ってた男が実は結婚してて、泥沼になって、
おれに泣きついてきたことあっただろ」

「な、泣きついてなんかいないもん!それからすぐ別れたし…
つかちゃんこそ、相変わらずオバサン趣味なんでしょ~。
ずる賢い大人の女に騙されないようにしてよねっ!」

「オバサンとか言うな! ……あ、もうこんな時間か。雨止みそうにねえな……」
話を逸らすために、司は時計を見て空を見上げる。
「あー!そうだった!あたしカサ持ってないんだった。どうしよっかな~」
「……ったく、しょうがねぇなぁ……。傘貸すよ。ほれ。」
ぶっきらぼうに、司は愛子の目の前に傘を差し出す。

「………ヤダ。」
「なんだよ、やだって」
「それあたしが使ったら、つかちゃんはどうするの?」
「別に駅までそんな遠くねえし、このまま歩いてくよ」
「だったらなおさらヤダ。絶対ヤダ。あたしが濡れて帰る!」
「何意地張ってんだよ。このくらいおれだって何ともねえよ!」
「ダメだってば!忘れたの!?昔、同じようにあたしにカサ貸して、
つかちゃん濡れて帰って、そのあと肺炎起こして死にかけたことあったじゃない!」


中学の時…ふたりがちょっとだけ付き合い出す、少し前の出来事であった。
その時愛子は、自分が司を殺してしまうのではと、並々ならぬ罪悪感を感じたのであった。
司は、幸いにも一命を取り留め、入院中は愛子が毎日見舞い、
それがきっかけで交際を始めたことを思い出した。


「もう、あんな思いするのヤダよぉ。つかちゃんが彼氏になることはもうないけど、
それでもつかちゃんが死ぬのはイヤだもん!」

昔の辛い記憶が蘇り、いつしか愛子は涙をこぼしていた。
彼女ではないけれど、自分のために本気の涙を流してくれる愛子。
「もうない。とか……ほんっとかわいくねえなお前」
「べ、別に……つ、つかちゃんの前でかわいこぶろうなんて思ってないもん」
「でも……ありがとな。そして泣かしてごめん。わかったよ。傘はおれが使うから」
その一言で、すんなりと泣き止んだ愛子を背に、司は傘を広げ、数歩前に出た。

「あれ…つかちゃん確か地下鉄でしょ。地下鉄の駅そっちじゃないよ?」
「おれが愛子が乗る電車の駅まで送れば問題ないだろ。
……それとも、おれのことは相合傘したくないほど嫌いか?」

少し照れくさそうに、複雑な顔をして言い放つ司の顔を見て、
愛子は「その手があったか!」と言わんばかりに笑顔になる。
「そぉっかぁ!一緒に入ればいいよね!つかちゃんあったまいい!」
「頭がいいと言うほどのことじゃねーだろ、こんなこと…」


冷たい雨が降る中、ひとつの傘の中で、お互い憎まれ口を叩きあいながら。
駅前の商店街の中にゆっくりと消えてゆくふたりであった。


(おしまい)