20001129

食堂の入り口の向こうから、甲高い浮かれた声。
早瀬にとっては初めて聴く声であった。
「あれっ?この声は……明さん?」
ポツリと呟いた幹雄の言葉に、早瀬の心臓は一気に高鳴った。
(何っ!?……諸悪の根源が今、ここに!?)
”ガラッ”
食堂の戸が勢い良く開いたかと思うと、
そこには見慣れた顔である上司、眞妃の背後に、
先日、遠山 満に見せられた写真と同様の「女性」が現れた。

「みなさん、おっひさっしぶっりなぁのね~ンvv
久々に来日した成沢 明…ハリーは、よほど浮かれているのか、
食堂に入ってきてからも一向に落ちつかない様子だ。
「あらあらあらン♪食堂も全然変わってないわねン♪」
「当たり前でしょ!あんたが辞めてまだ半年も経たないのよ?」
「う~ン、また眞妃ちゃんと一緒にここでゴハンしたいなンv
「別に、時間はたくさんあるんだから、あとで一緒にお茶でも飲みましょうよ」
「いや~ン♪♪うれしいなン♪」

一見普通(?)の友人同士のような感じの二人だが。
早瀬は気づいていた。
いつもは、程よい緊張と厳粛な雰囲気に包まれている眞妃の表情が、心なしか緩んでいる。
確かにこの二人は夫婦である。
だが……それは眞妃が騙されているからに過ぎないのだ。
早瀬はそう信じて疑わない。
「明は奥田さんとは初めて会うのよね……
こちら、夏から経理部に所属になった奥田早瀬さん。
あ、奥田さん。こちら……うちの、主人です。」

『主人』という言葉にまだ慣れていない眞妃は、
ほのかに顔を赤らめながらお互いを紹介する。
そんな眞妃の様子を見て、早瀬の感情は益々高ぶっていった。
「どぉもぉン♪はじめましてv 奥田さんのことは眞妃ちゃんから聞いて知ってるわン♪
ボク、成沢 明v イギリス名が『ハインリヒ』だったから
みんな『ハリーちゃん』って呼んでるわン♪」

早瀬の思惑など、何も知るはずも無いハリーは、当然のように友好の握手を求める。
能天気な顔して、眞妃を騙くらかしている。
そう思うと、早瀬はハリーと握手などできるはずも無かった。
(…こんな…こんな罪の欠片も感じて無さそうな顔で、成沢部長を……許さない!!)
早瀬の怒りは、ついに頂点へと達した。

「…貴方は、成沢部長……いえ、
…眞妃さんを騙しつづけていて、何の罪も感じないんですか!?」


「……へ?」
行き先を失った右手を差し出したまま、ハリーは目を点にした。
無論、ハリーと早瀬の周りにいる人たちも。
そんな視線を気にも留めずに、早瀬はハリーの差し出した右手をつかみ、言葉を続ける。
「いい加減にしないと…俺、切れますよ?
催眠術で騙して……女性一人の人生を狂わせているんです、貴方は!
眞妃さんを返してくださいっ!!」

搾り出すように怒鳴ると、早瀬はハリーの右腕を引き寄せようとする。
「ちょ、ちょっと奥田さんっ!さっきからどうしたんですか?やっ、止めて下さいよ!」
慌てて幹雄が止めに入ろうとする。
「中原さん、貴方は黙っていてくださいっ!
貴方だって騙されているんですからっ!!」

もはや手のつけようの無い早瀬。
超本人である眞妃は訳がわからず、暫く固まっていた。
しかしその時。

「…うっ………酷いわン……早瀬ちゃん……」

(…えっ…!?)
ハリーの、少々くぐもった声に、早瀬はドキッとする。
「どうしてン…?どうしてそんな大きな声だしてン…怒るのン…?
ボク、なにか悪いこと、したン…?」

ハリーが瞳を潤ませて、まるで許しを乞うように自分を見つめるのだ。
(しっ、しまった……こいつは極悪非道でも、女性……
俺としたことが、女性を泣かせてしまうとは…!!!)

しかも、ハリーは他人を困惑させ、誘惑することに関しては右に出るものはいないほどである。
「ゴメンねン…早瀬ちゃんが怒っても、眞妃ちゃんと離れることなんて、ボクできないのン…
そんなに怒っちゃ駄目ン。早瀬ちゃんも、仲良くしよン…?」

(うっ………!!!こっ、この目はぁぁあっっ!!??)
早瀬の感情は、超瞬間最高速度マッハ(謎)で、怒りから妙な気持ちへと移行していった。
(だっ…駄目だ早瀬!!これがこいつの催眠術なんだ!!騙されたら駄目だ!!)
「………ね?仲良くしよン…?」
フェロモン全開(笑)のハリーが、さらに早瀬との距離を縮めたその時。
「……あんっったは、なに男を誘惑してんのよっっ!!!!!」

”ドカバキグシャアアーーーッ!!!”

ハリーの行動を見るに見かねた眞妃は。
いつもの波動拳を炸裂させた。
「…やあ、久々に見ましたねえ。成沢さんのそれ。」
先ほどの慌てぶりとうって変わって、
メタメタにされたハリーをのんきに眺める幹雄。
「……全くもう! それじゃ、お騒がせしました。この人連れて帰りますんで。」
そう言い残すと、眞妃はハリーを引きずりながら食堂を後にした。



嵐が去り……
いつの間にか始業時間になり、
騒ぎを見学していた社員達もそれぞれの持ち場に去っていった。
だが、早瀬だけは…呆然と、その場にへたり込んだままだった。

(俺は……騙されない、……俺だけは……騙されない……っ……)

何度も心の内で繰り返す。
だが、そう言い聞かせても彼の胸は高鳴りつづけるのみである。
そう、彼にだけ…真実は何も知らされないまま…



(おしまい)